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私はあなたのトイレです2

人間便器に憧れる、豊満好き、熟女好きマゾヒストのブログです。

相沢ゆうさん

女神のような相沢ゆう様

こんなきれいな人にこうして見おろされたら、
もう身も心も、ずたずたです。

相沢ゆうさん。

以前から可愛い、素敵な方だなあと思っていましたが、
メイクが変わったせいもあるのでしょうか、
このDVD『東京X 旨脂豚美人』(しのだプロジェクト)でのゆうさんは、
いっそう妖艶さを増して、もはや女神の領域です。
(DVDの中身を見たのではなく、写真の印象です)

『東京X 旨脂豚美人』の表紙がまたいいんです。
トロッとしたお腹のお肉に、こちらの心もトロトロです。

写真は、しのだプロのサイトで「ご自由にお持ちいただける素材」としてアップされているものです。
なんと太っ腹なのでしょう。

御礼にURL書いておきます。

しのだプロジェクト Shinoda Project

作品一覧を見ていると、さまざまなフェチの世界を扱っているようですが、
アイディアの良さ、切り口の新鮮さが目を引きます。

ぜひ拙ブログ向けの作品も作っていただきたいものです。
あーでも、相沢ゆうさん出されたら、もう何も言えませんけど(^_^;)。

ゆうさんに命令されたら、逆らう勇気は私にはありません。
もし「おトイレになれ」と言われたら、
夢遊病者のように、お尻に吸いつくことでしょう。
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  1. 2009/01/31(土) 12:45:25|
  2. 写真(他)
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セクシーな美熟女様

私はあなたの性の奴隷です

たまらなくセクシーな美熟女様ではありませんか。

ちょっと山本○ナさんに似てる・・・。
モ○さんもこのぐらい豊満ならファンになってもいいのですが。

こんな女性の性の奴隷になって、
何もかも仕込まれてみたいものです。

あなた好みの奴隷にしてください

  1. 2009/01/28(水) 14:38:00|
  2. 写真(他)
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奴隷の冗談

おしっこ飲ませてあげない

「なに、のどが渇いたって?」
「はい、どうか飲ませてくださいませ」
「飲みたいって、何が飲みたいの?」
「で、できればご主人様のせ、聖水・・・」
「なんだって? はっきり言ってごらん」
「はい、ご主人様の・・・ご聖水がいただきたいです」
「聖水? 私のおしっこ?
あはは。おしっこはやらないわよ」
「・・・・」
「なによ、その哀しそうな目は」
「申し訳ありません。
何か粗相がありましたらお詫びします」
「うん・・・まあ、最近とりたてて粗相はないけどね」
「では・・・なぜ?」
「ふふふ。私の気まぐれ。
やりたくないから、やらないの。
悪い?」
「いえ、そ、そんなことは・・・」

さて、ここです。
ここで奴隷が次のひとことを発することができるかどうか・・・。

「これがほんとのシッコ猶予ですね」

どひゃあ。
面白いかどうかはこの際、別問題です(^_^;)。
こういう冗談を奴隷が言うことが許されるか。
それを伺ってみたいのです。

もちろんこの「お預け」が本当の罰の場合には、許されないでしょう。
そうではなく、二人の間の雰囲気が一種の和気藹々とでもいいますか、
“イイカンジ”になったときに、どうか?

冗談を言うということは、多少とも奴隷の心に余裕があるということです。
それはアリなのかナシなのか。

畢竟これはご主人様がどう考えるかの問題ですね。
奴隷はご主人様のイメージに従うほかないのですから。
ですから、多くのS女性たちはどういうイメージを持ってらっしゃるのか、
それを伺ってみたいと思う私メでございます。

私の多くない経験から言えば、
かつて厳しくお仕えしたご主人様の前では、冗談など言える雰囲気ではありませんでした。
逆に、ノーマルな関係から出発して、その後に私のM気を白状し、
比較的ゆるいSM的関係になった方との間では、冗談は全然OKでした。

  1. 2009/01/27(火) 00:32:34|
  2. 写真(他)
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『週刊新潮』08.12.18号

墓碑銘

『週刊新潮』2008年12月18日号「墓碑銘」というコーナーに、天野哲夫さんの追悼記事が掲載されていました。

タイトルは「戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』に重なる天野哲夫さんの奇嬌(ママ)」。

編集部によって書かれた記事で、康芳夫、倉田卓次、新潮社校閲部の同僚、岩波剛の各氏に取材をしたものと見られます。

『家畜人ヤプー』と『手帖』を書いた沼正三の正体は天野哲夫氏であるという認識で書かれています。まあ、今さら驚きませんけれど(笑)。

私の意見は、「康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話」」ほか一連の「沼正三」カテゴリーをご覧下さい。

それはともかくとして、新潮社校閲部での天野さんの横顔などが垣間見られて、なかなか面白い記事になっていると思います。

この記事の存在を知ったのはウィキペディア「沼正三」の項でした。

>「沼正三」の正体を確実に知る人物の1人である『家畜人ヤプー』の最初の版である都市出版社版の発行に携わった康芳夫は、1974年の著書『虚業家宣言』で、『家畜人ヤプー』の一部は沼正三の許可を得て、天野が執筆したのだから、天野哲夫説は完全な間違いではないとしている。さらに同書の中で、沼正三は、文壇とは一切関係ない人物で、1974年時点で40代、某官庁の高級官僚であると人物像の一端を明かしていた。しかし、2008年に天野哲夫が死去すると、これを翻して、生前の天野が主張していたように、やはり天野が沼であり、別のペンネームを用いたのは他の人たちの助言を取り入れて執筆したからだとしている[2]。
 [2]「墓碑銘」『週刊新潮』2008年12月18日号、新潮社
(ウィキペディアより)

康芳夫氏が、前言を翻したこと、つまり嘘をついていたことが簡潔にまとめられています。

ただ、康氏が「正体を確実に知る人物の1人」というのは疑わしいと思います。というのは、「康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話」」にも書きましたが、康氏が沼さんないし天野さんと知り合ったのは、既に『奇譚クラブ』での連載が終わった後ですから、執筆の状況を直接に知っているわけではないはずだからです。
  1. 2009/01/25(日) 01:40:09|
  2. 沼正三
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「肉体派弁護士・麗子」

出がらし

山田大吉の漫画「肉体派弁護士・麗子」は、mshiさんのご紹介で知りました。

「世界M紀行」にいくつかの4コマが紹介されているほか、
掲示板「顔面騎乗サークル」で過去に遡っていただければ、いくつかの断片が見つかります。

ここに掲載させていただいたのは、
mshiさんが「世界M紀行」にアップされた1コマごとのデジカメ画像を、
ご了解を得て、私が4コマにつなげたものです。

この漫画は、『漫画シャワー』1999年2月1日号から連載されたものだそうです。
ネットで検索すると、作者の山田大吉さんは、
「山田大吉」「森永望」というペンネームを使っているのではないか、
と推定している人がありましたが、詳細はわかりません。

主な登場人物は二人。
美人弁護士・角田麗子(28才独身)
部下の鈴木吉彦(45才独身)

これだけでわかるように「年下の女性上司」という、
多くのM男にとって刺激的な設定になっています。

まず目を引くのが、麗子がセクシーに描かれていることでしょう。
美人に描かれているのはもちろんですが、
当時流行っていたボディコンないしはそれに近い服をいつも着ています。
それに対して鈴木は、背も低く、風采の上がらない男として描かれています。

しかし、この漫画の最も大きな特徴は(私が感じた最大の原因でもあります)、
二人の主役の顔が、無表情に、淡々と描かれていることだと思います。
このことの意味は重要です。

まず鈴木。
鈴木は、上司である麗子の命令に唯々諾々と従っています。
小便を飲めと言われたら小便を飲みますが、
飲んでいる鈴木の顔に、喜びの表情は浮かんでいません。
どちらかといえば苦しんでいるようにも見えます。

しかし、鈴木の場合は、いくつかの場面をつなぎ合わせて考えると、
どうやら麗子に惚れていることが見てとれます。
例えば、麗子が口をつけた湯飲みを鈴木が舐めているコマがあったり、
麗子とその友だちから唾液を飲まされてイッてしまう場面があったりします。

したがって、鈴木が麗子の命令に唯々諾々と従うのは、
鈴木が麗子の性的魅力の虜になっているからだとわかります。

対して麗子は、ほとんど全くの無表情です。
多少の不機嫌な感じがありますが、
いつも冷静で、喜びも、怒りも、顔に浮かべることがありません。

無表情というのはすなわち、心の中を描かない、ということです。
これは間違いなく作者の意識的な仕掛けです。

麗子の心の中を描かないことには、二つの意味があると思います。

一つは、麗子の心理を“空虚な中心”として空けておくことで、
それにより憧れの存在を憧れのままにできる、ということ。
鈴木にとってそれは、神秘の領域になるわけです。
心理を描くと、彼女が人間界にまで降りてきてしまう可能性があるんですね。

もう一つは、この漫画が、
鈴木すなわちマゾヒストの視点から書かれていることを示しています。
決して麗子の視点から描かれているのではないのです。

ですから、麗子の心理を論じることにはあまり意味がない。
「麗子も鈴木が好きなのでは?」と考える向きもあるようですが、
作者の視点を正確に受け止めるならば、主観的に過ぎる読み方だと思います。

「好きでなければ小便を飲ませるという恥ずかしいことはできないはず」という意見に対しては、
だいぶ以前ですが、拙ブログの過去のエントリー「人前でできる理由」に、
それが可能であることを書いています(小便でなく大便を念頭に置いてますが)。
寄せられたコメントも含めて参考になると思います。

もう一つ作品をご覧下さい。

採用試験

麗子は、就職希望の女性への採用の条件として、
自分の小便を飲むことを要求しているのです。
麗子が他人に小便を飲ませることに羞恥を感じていないこと、
鈴木への行為が愛に基づくものでないことは明白です。

主人が奴隷に対して羞恥を感じないことについては、
沼正三も『手帖』に書いていますが、
最近、このことをよく表した例を発見しましたので、近々紹介します。

  1. 2009/01/24(土) 23:21:00|
  2. イラスト(聖水)
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URL変わりました

URL変わっても奴隷のやることは同じよ

DTIの規格変更により、拙ブログのURLが変わりました。

 旧URL http://gomimusi.18.dtiblog.com/
        ↓
 新URL http://gomimusi.dtiblog.com/

転送等は自動的に行われますので、何もしなくても今までと同様にアクセスできますが、
リンクして下さっている場合は、気が向いたときにでも新URLに変更しておいていただけると助かります。

よろしくお願いします。

なお、拙ブログに限らずほかのDTIブログでも同様のURL変更があるはずです。
  1. 2009/01/23(金) 01:03:38|
  2. お知らせ
  3. | トラックバック:0
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ゆるい関係

ふっくらして素敵です

私、「美熟女様…」のような厳しい主従関係への憧れも強いのですが、
その一方で、もっとノーマルな範疇の中での女性上位的関係にも憧れます。

例えば、写真のような豊満で素敵な女性とふつうに結婚して、
ふつうの家庭生活を営みながら、しっかりと尻に敷かれているような関係。

一見対等だけど、実は妻に頭があがらない。
喧嘩をすれば一方的に負ける。
謝るのはいつも夫で、土下座させられる。
性生活は妻中心で、妻が決める。

そんな生活も、いいなあ。

写真は伊東恵さん。
素敵ですね~。

「これでもかっ!」「ひぃぃ、許してください~」

  1. 2009/01/22(木) 03:27:36|
  2. 写真(他)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

リンク雑感

美しい風景、美しい女性と、美しくない奴隷

リンクの欄を整理してみました。

 ●S女性のサイト●
 ●M男性のサイト●
 ●AVメーカー●
 ●種々のフェチサイト●
 ●リンク集●
 ●休眠中?●

という6つに分けました。

しばらく更新のないサイトを「●休眠中?●」に入れました。
更新があれば上の項目に戻します。

「※リンク先のご紹介はこちら※」のページも書き直さなきゃ、
と思ってるんですけどなかなか・・・。

「リンクする」ということについては
ある種の責任を負っているような気がするんですよね。
つまり、拙ブログからリンク先のサイトへ行った人が、
「嫌なサイトに来ちゃったなあ」と思ったとしたら、とても申し訳ないと。

だから、拙ブログのリンク先は、エラソーな言い方になりますが、
私の眼鏡にかなったところだけにする方針です。

あるブログなど、「続きを読む…」をクリックしたら別のサイトに飛ばされたりして、
呆れました。
広告が多すぎて明らかにアフィリエイト目的と思われるようなサイトも、嫌ですね~。
いえ、アフィリエイト目的自体は構わないけど、肝腎の本文が手抜きで、
広告だけしかないようなところは嫌だということです。

メーカーやクラブなどプロのサイトを毛嫌いする向きもありますが、
私は、それらも有効な情報源だと考えています。

ただ、趣味サイトと営業サイトとを問わず、
作っている人の姿の見えないところは嫌ですね~。
例えば北川プロにしても超醜い豚便器にしても、
北川繚子さん、超醜い豚便器さんという制作者の方の
顔が見えて、声が聞こえるじゃないですか。
そういうところはいいです。
ぜひリンクさせていただきたいと思います。

ちなみに、サーバーであるDTIが自動的に入れる広告は別として、
拙ブログに広告は全くありません。
いくつかお誘いはいただいたのですが、いまのところお受けしていません。
将来的には、本文の邪魔にならない程度の広告はお受けするかもしれません。
  1. 2009/01/17(土) 18:35:21|
  2. お知らせ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

はじめに

はじめに読んでね

今ごろになってなんですが、拙ブログの紹介と皆さまへのお願いを記しておくことにしました。

「私はあなたのトイレです」は

私ゴミムシの個人的な趣味にもとづくブログです。
人間便器への憧れを強くもっていますが、そのほかにもいろいろマゾヒストとしての欲求をもっています。
また、熟女や豊満女性が好きなので、マゾヒズムを離れてそれらをテーマとすることもあります。

基本的に、私の心象風景を記したものとお考えください。
そのため記述にはバイアスがかかっています。
たとえば「すべての男は女の奴隷になるべきだ」と書いたとしても、
それはノーマルな男性やS男性の存在を否定しているのではないし、
憲法を改正して女権国を作ろうとしているのでもないことは当然です。

排泄物の即物的な写真を掲載することがあります。
それが苦手な方は拙ブログをスルーしてください。
モロ画像、ロリ画像は掲載しません。

コメントについて

拙ブログのコメント欄は、人と人との出会いの場だと考えています。
2ちゃんねるのような場所とは性格が違うと思っています。

したがって、そのような人と人との関係を結ぼうとしない会話はお断りします。
具体的には、

1、「匿名」「通りすがり」ないしはこれに類するハンドルネームの書き込み、
2、一言の挨拶もない初めての書き込み、

は、返信しないか削除させていただきます。

また、「画像の元URLを教えてほしい」というリクエストについては、
こちらのエントリー「文脈の変更」をご覧下さい。

トラックバックについて

記事に関係のあるトラックバックはお受けしています(ほとんど来ませんが)。
いわゆる業者の宣伝でも、記事と関係あればOKです(それは「情報」ですから)。
無関係な記事や悪意ある記事へのトラックバックは削除します。

リンクについて

リンクフリーとします。

こちらからのリンクは、拙ブログの趣旨に合致していて、誠実に運営しているサイトであれば、させていただきます。
一言でいえば、「作者の姿の見えるサイト」ならお受けするということです。
コメント欄などでお申し出ください。
広告過多のサイト、だましリンクのあるサイト、不誠実な印象のサイトはリンクをお受けしません。

支援掲示板について

拙ブログのキーワード(femdom、人間便器、熟女、豊満女性)に合う画像を貼って盛り上げて下さい。
いわゆる業者の宣伝も、趣旨に合致した情報性あるものであればOKです。
排泄物画像は歓迎ですが、女性のものに限らせていただきます。
モロ画像・ロリ画像はNGです。

何卒ご理解・ご協力のほどお願いします。
[はじめに]の続きを読む
  1. 2009/01/16(金) 00:01:22|
  2. はじめに
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『続々々 裁判官の書斎』 (11)

女主人の鞭

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「民族としての押しの強さ」は、アメリカ人の青年が、シンガポールで鞭打ち刑に処せられたことがアメリカで話題にされた、というニュースを素材に、アメリカ人には日本人にはない民族としての押しの強さがある、と述べたエッセイです。

> 私は先の戦争中、つまりもう五十年も前だが、鉄道隊の将校として台湾南部に駐屯していた時、むち打ち刑を見たことがある。村に駐在する警察官--私たちには慇懃だったが、国家権力の代表で「大人」と呼ばれ、恐れられていた--の官舎を夜不意打ちして覗いたら、村人三人を床にひざまずかせ、露出させた背中をむちで叩いていた。今も目に残る印象的な場面で、こっちもどぎまぎしたことを忘れない。(P.305)

『手帖2』にはこんなくだりがあります。

>米国のある州には今でもむち刑が残っていると聞くが、その他の文明国は英国を除いて、いずれも十九世紀の間にむち刑を廃止した(追記。南ア共和国やシンガポールには今も残っている)。(『手帖2』P.24)

> もっともこれは法律で定められたことだけについてのお上品な議論で、私刑としてのむち刑がいかに公然と行われていたかは、陸海軍初年兵の経験ある者には今さらいうまでもない。(『手帖2』P.25)

また、「民族としての押しの強さ」のこんな言い回し。

> このむち打ち刑(caning)は英法系諸国での破廉恥罪の付加刑としてシンガポールに継受されたのだという。今回アメリカがいきり立ったのは、昔の植民地人から昔の主人側だった白人がむち打たれるのが癪に障ったのだろう、という穿った見方が深層心理的には真相を射当てていたかも知れないが、(P.306)

「主人」「白人」という倉田さんの言葉選びの癖のようなものに、沼さんと共通のものを感じてしまいます。

「むち打ち刑」に「(caning)」と英語で注釈が入れてあるのも、『手帖』第33章「むちのいろいろ」の記述を思わせます。ここで沼さんは、鞭の種類を細かく説明するために、いちいちアルファベットで示しています。

『続々々 裁判官の書斎』についてのメモは今回で終わりです。

これまであげてきたことは、一つ一つをとれば、どれも倉田さんと『手帖』を書いた沼正三とが同一人物であるという証拠にはなり得ません。そのことは十分に承知しているつもりです。けれども、状況証拠もこれだけ数が多いと、逆にそれを否定することはなかなかできないのではないかと、私は思います。
  1. 2009/01/15(木) 22:48:58|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (10)

トイレの豊満熟女

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「死刑廃止の条件」と題する文章は、死刑廃止について論じた文章です。この中で倉田さんは、イルゼ・コッホに言及しています。

>ドイツは基本法で死刑を廃止しているが、かつてドイツの裁判所のあり方を見聞して回った頃、ミュンヘン地裁のある判事がイルゼ・コッホの事件を語った。
 イルゼはナチが政治犯を収容するためのワイマール近辺に新設したブッヒェンワルト強制収容所の所長カルル・コッホの妻だが、六年間にわたって囚人に暴虐の限りを尽くし「魔女」と呼ばれた女性だ。入墨した囚人を殺してその皮膚を剥いでブック・カバーやランプ・シェイドを作り、戦犯裁判の法廷に少なくとも十二体のなめし革が提出展示された時は失神する傍聴人が出たと言う。
 その彼女が終身刑だというから、私が仮出獄の可能性を問うと、絶対にない。脱獄を警戒するだけだ。しかし、自分としては死刑廃止に例外があってもよかったと思っていると語った(このイルゼは、一九六七年(昭和四二年)バイエルン州刑務所で自殺したそうである)。(P.292)

沼正三『手帖』でも、イルゼ・コッホについて書かれています。第125章がそのまま全部イルゼ・コッホに費やされているのです。

>女の残酷性がその握る権力に比例するという命題に従えば、ブッヒェンワルト収容所司令官夫人だったイルゼ・コッホ(雑報一一四)は、ビンツなどより、遥かに私たちの関心の対象となる存在である。(『手帖5』P.48)

  注:「雑報一一四」とあるのは誤植で、「雑報一四四」が正しい。

>イルゼが、司令官カルル・コッホの妻として、新設のブッヒェンワルト収容所--ワイマールの北六マイルの地点に一九三七年建設された「デモクラシーの土牢」--に赴いたのは、彼女が三十一才の時だった。(同)

>私室には人間の髑髏が飾られた。斬首後拳大に縮小乾燥させた頭蓋もあった。人間の皮膚を鞣して作った、手袋、ブック・カバー、ランプ・シェードがあった。(同P.53)

>七年間ブッヒェンワルトの解剖質で働いた一兵士は、少なくとも千人の屍体が、彼女の命で皮を剥がれ、その入墨コレクションは二百フィートのテーブルにも並べ切れまいと証言した。そして、その一部が法廷に提出されたが、それだけでも少なくとも十二体の人間のなめし革で作られていた。この時には、さすが残酷行為の見聞に慣れた法廷の中でも失神者が出たということである。(同P.54)

>彼女は戦後、戦犯裁判を受け、更に本国法廷でも審かれて有罪となったが、西独の死刑廃止のお陰で、死刑を免れ、終身刑で服役中である(追記。いったん恩赦されたが、更に殺人罪で服役中、昭和四十二年九月一日バイエルン州刑務所で自殺したと伝えられている)。(同)

どうでしょうか。『手帖』のこの章は8ページにわたるもので、その中から一部を抜き出したものですから、引用が恣意的であることは認めますが、それにしても両者の記述はとても似ていないでしょうか?

ところで、沼さん(つまり裏人格の方)がイルゼ・コッホに対してある種の“発情”をしていることは明らかです。沼正三というペンネームが、いくら「広義の創作」に基づいた仮想人格であり、その著作物がマゾヒストとしての「故意の曲解」だとしても、ナチスの大量虐殺者に対して発情するというセンスが私にはわかりません。

沼さんを深く尊敬している私ですが、この点に関しては節操がなさすぎると感じています。もちろん表人格のほうでは、別の考えを持っているはずですが。
  1. 2009/01/13(火) 01:10:40|
  2. 沼正三
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康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話」

『新潮』2009年2月号より

しろくろ骸骨さんからのご教示で、『新潮』2009年2月号(新潮社)に、沼正三についての記事が掲載されていることを知り、早速買い求めてきました。貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました。>しろくろ骸骨さん

記事は、康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話 --沼正三氏の氏に際し」というタイトルで、4ページのものです。末尾に(談話)とありますので、康さんの話を編集部でまとめたものでしょうか。

『ヤプー』のさまざまな動きが、康さんからの視点でコンパクトにまとまっていて、読みやすく、参考になる資料だと思います。関係者ならではの情報もチョコチョコとありました(都市出版社版の『ヤプー』は10万部以上売れたこととか、出版権を角川書店に移した理由とか)。

ここで康さんは、ほぼ完全に天野哲夫さんを沼正三として扱っています。

>沼正三の正体が作家の天野哲夫さんだという噂は「血と薔薇」に載った頃には広まっていました。その当時から、天野さんは新潮社の校閲部員でした。彼にとって、自分の正体がバレることへの恐怖はなかったんだと思うけれど、そうですねえ……「協力者」との微妙な問題がありました。(中略)倉田さん自身は自分が沼正三であることを否定しつつ、作者と交流があったことは認めたけれど、他の協力者には、今もって「絶対に名前を出さないでくれ」っていう人が多いんです。「協力者」というのは微妙な問題なんですね。(中略)英語だとジョイント・ワークとかコラボレーションというけれど、では日本語で「共同執筆」といっていいかどうかは、ぎりぎりの問題なんです。

康さんは、倉田さんや他の人の協力のもとに天野さんが『ヤプー』を書いたと言っている、と見てよいでしょう。

私は康さんとは逆に、天野さんやほかの人々の協力を得て、倉田さんが『ヤプー』正編を書いたのだと見ています(その後の過程で天野さんが正編に手を入れ、また、続編を天野さんが書いた)。原文を書くのと、そこに手を入れるのとでは、全然違うと思うからです。全体を書き直してしまうほど徹底的に手をいれるのなら別ですが、そうでない限り、原文を書いた人の人格なりセンスなりが濃厚に投影されるはずです。

このような視点から、康さんの意見につけ込む隙があるとすれば、次の二点でしょうか。

一つは、康さんが『ヤプー』作者(天野さんだとしても、倉田さんだとしても)と出会ったのは、『奇譚クラブ』への掲載が終わってかなり時間が経ってからだということ。つまり、『奇譚クラブ』への執筆については、リアルタイムで接していないのです。康さんも直接的な証拠をもっているわけではないのですね。

もう一つは、「沼さんが亡くなった後も、僕は彼の全権代理人として、ますます『家畜人ヤプー』の歴史を複雑怪奇にしていきますよ。」と述べていて、康さんが『ヤプー』と商売上の関わりをもっていることです。康さんは自ら「虚業家」と名乗っていて、かつてオリバー君を人間と猿の合いの子だと宣伝して大儲けしたことでもわかるように、大向こうを相手に堂々と嘘をつくことのできる人です。たとえ事実を彼が知っていたとしても、商売上の要請があればそちらを優先させることは明らかです。つまり、商売上関わりのある康さんの発言は、バイアスがかかっているということです。
  1. 2009/01/12(月) 00:40:18|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (9)

セクシーで美しいご主人様

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「通俗小説との付き合い」より。

>推理小説にも、一時は熱中したが、SFを知ってから余り読まない。(中略)この種広義のSFやミステリーはいわばオタク小説である。それが人生の現実と遊離し、社会を総体的に捉えていない点に物足りなさ・・大衆小説全体への不満とも言えようが・・を感じる向きが、松本清張の社会派ミステリーを歓迎したのだろうが、(中略)私にはコウスティング効果がなかった。(中略)一つには、人間関係のどろどろには裁判記録で食傷していて(中略)、夢とロマンの世界に遊びたい気持ちのほうが強かったせいもあろう。(P.252)

コウスティングというのは、息抜き骨休めのこと。倉田さんにとって読書は、法律書や裁判資料は別として、基本的にコウスティングと位置づけられています。

したがって、「人生の現実と遊離し」ても、「夢とロマンの世界に遊」ばせてくれるような本を好む、と言っているんですね。

これはそのまま『家畜人ヤプー』を書いた動機でもあると、倉田=沼説からは読めるわけです。

  1. 2009/01/11(日) 00:24:40|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (8)

二つ前のに似たアングルですが

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「恐竜の名前をめぐって」より。

>
-- ジャパン・バッシングで評判の最近作が『ライジング・サン』。これも映画化されたようですが……
== これは映画を見る気も原作を読む気もしないね。日本人の悪口が書いてあると判ってるのに……そこまで自虐的にはなれない。(P.235)

「『続々々 裁判官の書斎』 (4)」で触れたように、これも表人格の意見だと思います。

ただ、日本人の悪口が書いてあるということだけで見ないと、短絡的ともいえる意見を述べている点や、「自虐的」という言葉を使っている点、自身が『家畜人ヤプー』の作者だと言われたことについて、やや自意識過剰になっているようにも感じられます。

  1. 2009/01/10(土) 02:12:58|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (7)

お尻の下の幸せ

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「狐の書評」より。

>昔週刊文春『風の書評』という匿名書評があって、論鋒の犀利で鳴らしたが『続・風の書評』が本になった時、朝日記者百目鬼恭三郎と名乗ったので、興ざめたことがある。今後も匿名で通せ。(P.218)

これはもう、倉田さん自身のことと引き比べて言っているのではないかと、勘ぐりたくなりますね。

  1. 2009/01/09(金) 02:39:42|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (6)

おならしちゃおうかな

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「『ユリシーズ』案内――丸谷才一・誤訳の研究――」は、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』について書かれた文章です。特に、丸谷才一の誤訳について批判しているのですが、それはここでは関係ありません。

> 私自身の読書体験の中でも、「ユリシーズ」は特殊なものだった。(中略)寮でこの小説を薦めてくれた友人に、第一八挿話(女の寝台での意識の流れ的独白で、原文も数十頁句読点なしだが、邦訳もかながき句読なしの読み難いもの)がエロチックで面白いぞと聞かされたためという、少々不純な動機であったから。(P.179)

沼正三も『ユリシーズ』を読んでいます。『手帖6』の索引を見ると、『ユリシーズ』に言及している頁はなんと10ヶ所もあることになっています。実際には、索引に含まれない雑報でも数カ所で触れているので、もっと多くなります。

どころか、第136章は、「魔女が島(『ユリシーズ』)」と題して、『ユリシーズ』だけで一章を割いています。

この章では、『ユリシーズ』の第15挿話を中心に紹介しているのですが、顔面騎乗して放屁する場面などもあって、なかなか素敵です。

>この第十五挿話は、マゾ文学としても最高の作品である。古今東西の、私の読んだ限りの必ずしも少なくない、文学作品の中で、いちばんつぼを抑えた煽情的(マゾヒストにとっての、であるが)記述に満ちていると言ってよい。『ルービと鞭の女王』などというマゾ小説を愛読し、妻に対しても下部接吻しかせず、彼女から、smollrump とか lick shit (第十八挿話)などと侮られているマゾヒスト、ブルームの精神的冒険なのであるから、その意識の流れを叙述すればマゾ的になるのは当然であり、だから、ここをマゾ場面として味わうことが作者の意図にも副うことになるのである。(『手帖5』P.205)

と、べた褒めです。

『ユリシーズ』読んでみたくなりますね。
  1. 2009/01/08(木) 01:36:18|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (5)

美熟女様の顔面騎乗

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「合理的な疑い」から。

>米国では他の分野での専門家として名のある人が専門文士もたじたじのエンタテインメントを書くことが少なくない。そういう遊びが業績評価の上でマイナスにならないからだろう。日本はそれがマイナスになる精神的風土であることが科学者の読めるSF、法律家の読めるミステリ誕生の妨げになっているのだろう。(P.95)

ここでは、専門家が専門的知識を活かしたエンターテインメントを書くことを念頭に置いているのでやや事情は違いますが、裁判官が変態SF小説を書いたことが大っぴらになると業績評価がマイナスになるのだろうか・・・と、つい連想してしまいます。
  1. 2009/01/07(水) 00:04:07|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (4)

憧れの美人シリーズ

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「封神演義」の翻訳本について紹介している文中に、こんな一節があります。「封神演義」は奇想天外な内容をもつ中国の古典文学。

>
 闡教徒が截教徒に対して懐くプライドは「人種差別」そのものである。仙界刷新に名を借りての截教徒殲滅のシナリオがだんだん露呈してくると、歴史を味方にしたと意識して驕り高ぶる強者の横暴が新秩序の理念で飾られることの虚妄が溢れ漲るのを読み取ることもできる。二〇世紀日本の読者が、闡教の仙人たちに白人種族を連想し、崑崙十二大仙の傍若無人で情容赦のない行動に、「歴史の正義」の体現者を自覚(錯覚?)して、戦争裁判を行ったり、湾岸戦争に見るように世界の警察官として振舞ったりするアメリカの営為を重ね合わせても、さほど筋違いではあるまい。(P.118)

こうしたくだりを、沼正三の白人崇拝主義と重ね合わせながら読むと、とても面白い。

ここでは「封神演義」の闡教徒を、白人ないし現在のアメリカになぞらえて、人種差別、強者の論理だと批判しています。

西洋人、欧米人、ヨーロッパ人、アングロサクソンなどと言わずに「白人」と呼んでいるところが興味深いです。というか、匂うんですね(^_^;)。

こういうボキャブラリーに関わること、あるいは、言葉癖のようなものは、知らず知らずのうちに出てしまうものだと思います。

言うまでもなく沼さんも、「白人」という言葉を多用します。一般的には「白人」という言葉はあまり使われませんね。ところが、沼さんと倉田さんは、この点で共通の言葉癖を持っている。

その白人に対して、倉田さんが批判的に述べていることは、どう考えるべきでしょうか? 倉田=沼と考えることと矛盾しないでしょうか?

これは矛盾しないと思います。

これは倉田=沼さんの意識構造・人格の問題で、つまり、倉田=沼さんの人格のすべてが白人崇拝主義やマゾヒズムで被われているわけではないということなのです。

倉田=沼さんの場合、おそらくマゾヒズムはその人格の小さい一部でしょう。マゾヒズム以外の面も多く持っているものと思われます。

上記の白人批判、アメリカ批判は、そのマゾヒズム以外の面、ノーマルな面からの批判です。いわば表の顔です。

これに対して、『ヤプー』や『手帖』は、裏の顔で書いたわけです。

表は嘘で、裏が真実・・・ということはありません。どちらも真実なのです。そしてしかし、表の真実と裏の真実とは矛盾している。

それで良いのだと思います。人格とはそういうものではないでしょうか。どこにも矛盾のない、完璧な整合性を備えた一個の人格なんてものはない。

卑近な例をあげますと、射精する前と後とで、男は多かれ少なかれ人格が変わるでしょう。でも、どちらも本当の自分なんですね。「男は女の奴隷だ」とマゾヒストの私が書いたとしても、日本国憲法を改正してそれを現実化しようとは思わないし、もし本当にそんなことを主張する人が出てきたら反対する側に回る、と。そういうことです。

沼正三の著作(つまり『ヤプー』と『手帖』)を、表とは異なる裏の顔で書いたことを、当の沼さん自身も明確に意識しています。前にも引用紹介したくだりですが、

> (『手帖』が)文献紹介も資料選択もマゾヒズムという色眼鏡をかけて行われていることはいうまでもない。マゾ効果を狙ってヨタも飛ばしているし、見抜ける人がいるかどうか知らぬが、本書全体として広義の創作(フィクション)になっているトリックもある。個々の章でも、ある主張をするのに都合のわるい資料は黙殺しているし、言及した文献のマゾ的感興を阻害する部分を切り捨てるようなこともした。故意の曲解だ、遊びだ、と非難されかねない引用のしかたもあろうが、学術的研究書でも体系的解説書でもないのだから、そこは大目に見られたい。
(沼正三『ある夢想家の手帖から6 黒女皇』潮出版社、あとがき)

さらにもう少し沼さんの人格について、想像力をたくましくしてみましょう。

沼さんの場合、表の人格が強大に堅固に発達しているために、裏の人格(マゾヒズム)が表の人格を傷つけるような状態は、許容できることではなかったに違いありません。

沼さんはSMの実践経験がほとんど無いのではないか、と青犬さんが言い、私もそれに賛成しました。実際に女性に奴隷として仕えると、多かれ少なかれ表の人格に傷がつくこと必至であり、沼さんはそういうことは避ける人だろうと私は考えるのです。沼さんが「夢想家」である所以です。

余談ですが、夏木青嵐さんの文章からも、私は近いものを感じます。
  1. 2009/01/06(火) 00:06:09|
  2. 沼正三
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のんき君

「チカン慣れ」

昔一読して覚えていたのですが、なかなか見つけられずにいました。
このほどようやく現物を手にしました。

植田まさし『のんき君(4)』(芳文社、1982年)より「チカン慣れ」。

なかなか良いでしょう?

健全なる拙ブログ読者であれば、
この後の5コマ目が脳裏にはっきりと見えていることでしょう。

そうです。
男は、右手を口に運ぶはずです。

さらに。
私なら6コマ目をこう想像します。
「数日後」と右肩にネーム。
犬のリードをもった女性と、
リードの先には首輪をつけられたチカンの男。

そう。
男は女性の奴隷にされてしまったのでした。
めでたしめでたし。

よく考えてみれば矛盾だらけのこの四コマですが(※)、
私がこんな妄想をついしてしまうのは、
女性の心理が何も描かれていないことと関係しています。

 ※だって、女性は最初からノーパンだったことになり不自然だし、
  電車の中でうんこをしたら大事件になるはずだし、
  男は最初に少し出された時点でわかりそうなものです。

女性はただ、ツンとしたまま平然としています。
これがいいんですよね。
ここにマゾヒスティックな眼差しが入り込むスキがあります。

「肉体派弁護士・麗子」に興奮してしまうのも、同様の理由からです。
これについてはそのうち書くつもりです。

  1. 2009/01/05(月) 00:19:36|
  2. イラスト(黄金)
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若水

清らかな若水

若水とは、元旦の早朝に井戸や泉から汲む水のこと。
神棚に供えます。
新春の言祝ぎ、おめでたいものとされています。
若水を汲むときに「黄金の水を汲みます」などと唱えるのだそうです。

若水に一文字加えて「変若水」。
これで「おちみず」と読みます。
万葉の昔から伝わる若返りの霊水だそうです。

若水と変若水は、当然なにか関係があるのでしょうね。

奴隷にとっての若水とはもちろん、
新年はじめに尊いお方から湧く聖なる水のこと。

「黄金の水をいただきます」と心の中で唱えつつ、
清らかな気持ちでいただかなくてはなりません。

霊験あらたか。

  1. 2009/01/04(日) 00:13:02|
  2. 写真(聖水)
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『続々々 裁判官の書斎』 (3)

お美しい

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「メロヴィング王朝史話」は、二人の会話体で書かれています。T(教師)とS(生徒)の会話で書かれることはよくありますが、ここでは--と==で示されています。・・が倉田さんです。

『メロヴィング王朝史話(上・下)』(岩波文庫)は、ヨーロッパ中世の史話。西暦561年から584年までの出来事が扱われています。

>
-- グレゴリウスの弾劾で宮廷を逐われたレウダスティスは、王妃フレデグンドの不義密通の噂をグレゴリウスが流していると誣告して王と王妃を怒らせ、彼を司教の座から逐い落とそうとするけど、王が司教たちを召集して開いた教会会議で、グレゴリウスは身の証しを立て、逆にレウダスティスが「破門」される。彼は、そのあと、もう一度返り咲くんですが、結局執念深いフレデグンドに捕まってしまいます……
== たしか、嬲り殺しにするために、重傷を負っていたのを治療させるところがあったね。
-- そうです。名医の治療を受けるが、危篤に陥ります。すると彼女は……ちょっと読み上げてみますか
 (以下、原著の引用)この知らせを受け取った王妃は、仇を安穏に死なせてしまうことにどうしても我慢ができず、……彼女が頭をひねって考え出したに違いない風変わりな拷問に、臨終の際のレウダスティスをかけるように命令した……病人は道端に寝かされ、首の後ろに太い鉄の棒をあてがわれた。……もう一本の鉄棒をもった男が病人の咽喉を叩いた。最後の息を引き取るまで、ひっきりなしに叩き続けられた。(P.78)

会話の中で、残虐な王妃の話題を、倉田さんが引き出しているのです。「傲慢な女性」と並んで「残虐な女性」も、倉田さんの心に引っかかりやすい、ということではないでしょうか。
  1. 2009/01/03(土) 04:21:01|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (2)

こんな美しい女性になら

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「マリアンヌはなぜ撃ったか -法廷内復讐殺人事件-」は、山下丈の著書の紹介です。

同書は、1981年、西ドイツの法廷内で起こった事件についてのノンフィクション。事件とは、娘を殺された母親マリアンヌ・バッハマイアーが、法廷で被告人に向かってピストルを撃ち、射殺したというもの。

同書は、事件から十年後に、マリアンヌがテレビに出演したときのことを記して全体の幕を閉じます。倉田さんは、この部分を、まず原文を引用して紹介します。

> スタジオのカメラが向きを変えて、彼女の姿を映し出したとき、人々の間に静かなどよめきが起こった。東洋人の女性のような黒くてまっすぐな美しい髪、それを目の上でカットしたヘアスタイルが当時のままであるばかりか、挑戦的に相手をまっすぐ見据える眼差しも鋭さを失っていないし、一七五センチを超える長身のすらりとした肢体には、ぜい肉もついていない。……
 当時と少しも変わらないのは、外見だけではなかった。バッハマイヤーは今の暮らしについての質問には一切答えなかった。……そして、司会者が、
「……ご自分で事件を振り返られて、現在どのようなお気持ちでしょうか?」
と尋ねると、彼女は少しも表情を変えず、
「私は今でも、あの男に対して、これっぽっちの同情もしていないわ」
ときっぱり答えたのである。十年前と同じように、マスコミが彼女から引き出せるのは毅然とした応対であり、(中略)時として傲慢に映るほどの気品すら感じさせた。

と引用した上で、エッセイをこう結んでいます。

>ああいう経歴の女性がこういう事件で有罪判決の受刑者になったあと、なおかつ人にこんな印象を与えるこんな態度を取れる……この辺がクリームヒルトやブルンヒルト(いずれもニーベルンゲン伝説の女性。後者はワグナーの『指輪』にも登場する。)を先祖に持つドイツ人の精神構造の日本人との違いであろうか。(P.74)

話の落とし所としては、「ドイツ人の精神構造の日本人との違い」という点に収束させていますが、倉田さんが、女性の「時として傲慢に映るほどの気品すら感じさせ」る毅然とした態度にある種の感銘を受けていることは、十分に読みとれるのではないでしょうか。
  1. 2009/01/02(金) 01:30:15|
  2. 沼正三
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『続々々 裁判官の書斎』 (1)

『続々々 裁判官の書斎』 表紙

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「あとがき」に、「書斎シリーズはこれで打ち止め」とあります。理由は、余命でもう一冊分の雑文が溜まることはないから、とのこと。

しかし実際には、12年後の昨年に『元裁判官の書斎』(判例タイムズ社、2007年7月)が出ています。

倉田ファンとしては、まだまだ書き続けていただきたいと思っています。

『続々々 裁判官の書斎』から、目にとまったところをメモしておきます。

「マルセルのお城(フランス映画)」では、マルセル・パニョルの自伝的映画『マルセルのお城』について紹介しています。

中で、こんな場面を紹介していて、むふふと思いました。

> 近道の鍵の話の前にもう一つ、大切なエピソードが描かれる。それは一つ年上の美少女イザベルへの初恋である。ド・モンマジュールと貴族風に名乗り、ピアノを聴かせて少年の男心を網に掛ける高慢な女郎蜘蛛に夢中になったマルセルは、顔に墨を塗って黒人奴隷として奉仕したり、犬のように投げられた骨を咥え帰ったりして弄ばれるが、下痢をした彼女を見、本当の姓はカシニョールと知って幻滅して恋が醒める。この女性開眼の挿話は、主題となっている母オーギュスチーヌの像への愛慕一筋のすずやかさと違って、苦みの濃い味付けになっているが、しかも、思い出の中の姿としてやはり懐かしさを伴った描き方であるのがよい。大人同士であれば正視に堪えないシーン(犬扱いにして芋虫を食わせるなど)が子供同士の戯れとして描かれているのが救いになっていると言える。(P.20)

こんな場面があるのなら、この映画、いつか見てみたいものです。

例によって目次を写します。

   I
 <目耕余録>
街角の法廷(高樹のぶ子)
有翼日輪の謎 ――太陽磁気圏と古代日食(斎藤尚生)
マルセルのお城(フランス映画)
ナニワ金融道 1・2(コミック、青木雄二)
アメリカ流法律士官教本(D・ロバート・ホワイト)
モノ誕生「いまの生活」(水牛くらぶ編)
束の間の幻影 -銅版画家駒井哲郎の生涯-(中村稔)
コンスタンティノープルの陥落(塩野七生)
黒後家蜘蛛の会 1~5(アイザック・アシモフ)
マリアンヌはなぜ撃ったか -法廷内復讐殺人事件-(山下丈)
メロヴィング王朝史話 上・下(オーギュスタン・ティエリ)
かわいそうなチェロ(三井哲夫)
合理的な疑い 上・下(フィリップ・フリードマン)
墨攻(酒見賢一)
レ・ミゼラブル百六景 -木版挿絵で読む名作の背景-(鹿島茂)
封神演義 上・中・下(安能務 訳)
短歌・俳句・川柳101年(1892~1992)(新潮臨時増刊)
地の日本史(安部龍太郎)
人麿の運命(古田武彦)
マルクスの夢の行方(日高晋)
裁判法の考え方(萩原金美)
祖国はるかなれども -ニューギニア戦ブナ日記-(東山信彦)
ヴィドック回想録(フランソワ・ヴィドック)
お楽しみはこれからだ パート1~4(和田誠)
訴えてやる! -ドイツ隣人間訴訟戦争-(トーマス・ベルクマン)
宋名臣言行録[中国古典叢書](朱熹)
『ユリシーズ』案内――丸谷才一・誤訳の研究――(北村富治)

   II
 <本棚>
重耳 上・中・下(宮城谷昌光)
裁判官の素顔(高野耕一)
説得 -エホバの証人と輸血拒否事件-(大泉実成)
愛のうた[中華愛誦詩選](竹内実)
「孫子」を読む(浅野裕一)
菅茶山 上・下(富士川英郎)
マークスの山(高村薫)
中世の神判 -火審・水審・決闘-(R・バートレット)
狐の書評(狐)

   III
辞書漫談
恐竜の名前をめぐって
通俗小説との付き合い
老SFおたくの繰り言
『事件』をめぐる文通
『弁護士の目』を推す

   IV
 <リーガル・アイ>
「悪魔」という名前
母も父も確か
悪魔ちゃん再論
死刑廃止の条件
規則とその運用
タクシーと障害者
民族としての押しの強さ
夫婦別牲か創姓か
ドイツ裁判官の解任
元訟務検事の回避のケジメ
ペトロニウス流の安楽死
戸籍は不要か

   V
玉乃世履
異色の文化人石田五郎氏を偲ぶ
宮脇幸彦名誉会員の逝去を悼む

   VI
公正証書で尊厳死宣言
新しい経験
韓国の旅
賠償医学会一〇周年を祝って
逆説的コメント三点
古本屋が消えていく
フェーン現象とフェーン病
よしの髄から
晴焚雨読
私の読書空間
「幾何オタク」だった頃

あとがき

  1. 2009/01/01(木) 16:09:11|
  2. 沼正三
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

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