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私はあなたのトイレです2

人間便器に憧れる、豊満好き、熟女好きマゾヒストのブログです。

沼正三関連書籍リスト

素敵なイラスト

沼正三に関連する書籍のリストを作ってみました。

「家畜人ヤプー」「沼正三」「天野哲夫」「倉田卓次」の4つの項目に分けました。

「沼正三」「天野哲夫」の項目については、本の名義にかかわらず、実際に誰が書いたのかを基準にしました。

リスト作成にあたっては、現物のほか、天野哲夫『犬になった老人の死』(パラダイム)掲載のリスト、紀伊国屋書店・ジュンク堂書店・八重洲ブックセンター・日本の古本屋の各サイト、ブログ「しろくろ骸骨」を参考にしました。

発行年月については、現物が手元にあるものは現物で確認していますが、未入手のものは上記諸資料を参考にしているため、実際とはずれが生じている可能性があります。ミスにお気づきの際はご一報いただけると助かります。

■家畜人ヤプー■

『家畜人ヤプー』(都市出版社、1970年2月)
『家畜人ヤプー 改訂増補限定版』(都市出版社、1970年) ※限定2000部
『家畜人ヤプー 改訂増補決定版』(都市出版社、1972年3月) 
『家畜人ヤプー』(角川文庫、1972年11月)
『家畜人ヤプー』(出帆社、1976年6月) 
『愛蔵版 家畜人ヤプー』(角川書店、1984年5月) ※限定500部
『家畜人ヤプー 改訂増補復刻版』(スコラ、1991年10月)
『家畜人ヤプー 完結篇』(ミリオン出版、1991年12月)
『家畜人ヤプー(上)』(太田出版、1993年1月)
『家畜人ヤプー(中)』(太田出版、1993年2月)
『家畜人ヤプー(下)』(太田出版、1993年3月)
『家畜人ヤプー(第一巻)』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年8月)
『家畜人ヤプー(第二巻)』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年8月)
『家畜人ヤプー(第三巻)』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年8月)
『家畜人ヤプー(第四巻)』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年8月)
『家畜人ヤプー(第五巻)』(幻冬舎アウトロー文庫、1999年8月)

《劇画版》
『劇画 家畜人ヤプー』石森章太郎(都市出版社、1971年12月)
『劇画 家畜人ヤプー』石森章太郎(辰巳出版、1983年1月) 
『劇画 家畜人ヤプー 宇宙帝国への招待編』石森章太郎(辰巳出版、1983年6月) 
『劇画 続・家畜人ヤプー 悪夢の日本史編』石森章太郎監修・シュガー佐藤画(辰巳出版、1984年1月) 
『劇画 家畜人ヤプー 宇宙帝国への招待編』石ノ森章太郎(辰巳出版、1990年7月)
『劇画 続・家畜人ヤプー 悪夢の日本史編』石ノ森章太郎監修・シュガー佐藤画(辰巳出版、1990年7月)
『劇画 家畜人ヤプー 快楽の超SM文明編』石ノ森章太郎監修・シュガー佐藤画(辰巳出版、1993年5月)
『劇画 家畜人ヤプー 無条件降伏編』石ノ森章太郎監修・シュガー佐藤画(辰巳出版、1994年1月) 
『家畜人ヤプー1』江川達也(幻冬舎、2003年5月)
『家畜人ヤプー2』江川達也(幻冬舎、2003年9月)
『家畜人ヤプー3』江川達也(幻冬舎、2004年3月)
『家畜人ヤプー4』江川達也(幻冬舎、2004年9月)
『家畜人ヤプー5』江川達也(幻冬舎、2005年2月)
『家畜人ヤプー6』江川達也(幻冬舎、2005年9月)
『家畜人ヤプー7』江川達也(幻冬舎、2006年2月)
『家畜人ヤプー8』江川達也(幻冬舎、2006年12月)
『家畜人ヤプー9』江川達也(幻冬舎、2007年1月)

※石ノ森らによる『ヤプー』については、昨日のエントリー「『劇画 家畜人ヤプー』書誌」も参照してください。


■沼正三の著作■

『ある夢想家の手帖から1』(都市出版社、1970年12月)
『ある夢想家の手帖から2』(都市出版社、1971年3月) 
『ある夢想家の手帖から3』(都市出版社、1971年7月) 
『ある夢想家の手帖から1』(ニトリア書房、1974年) 
『ある夢想家の手帖から1 金髪のドミナ』(潮出版社、1975年12月)
『ある夢想家の手帖から2 家畜への変身』(潮出版社、1976年3月)
『ある夢想家の手帖から3 おまる幻想』(潮出版社、1976年5月)
『ある夢想家の手帖から4 奴隷の歓喜』(潮出版社、1976年2月)
『ある夢想家の手帖から5 女性上位願望』(潮出版社、1976年6月)
『ある夢想家の手帖から6 黒女皇』(潮出版社、1976年9月)
『集成 ある夢想家の手帖から(上)』(太田出版、1998年5月)
『集成 ある夢想家の手帖から(下)』(太田出版、1998年5月)

※都市出版社版の『手帖』は、第1・2巻セットのもの、第1~3巻セットのものも売られていたことを確認しています。


■天野哲夫の著作■

『人斬り彦斎』(久保書店、1966年) 
『異嗜食的作家論』(芳賀書店、1973年4月) 
『禁じられた女性崇拝』(芳賀書店、1973年) 
『女帝ジャクリーンの降臨』(立風書房、1974年) 
『新・創世記』(角川書店、1980年5月) ※「沼聖子」名義
『女神のストッキング』(工作舎、1981年2月→新装版1992年6月)
『女神の棲む闇』(出帆新社、1981年9月) 
『禁じられた青春』(創樹社、1987年6月)
『禁じられた青春(上下)』(葦書房、1991年) 
『狂気にあらず!?』(第三書館、1995年、C・ウィルソン&佐川一政との共著) 
『女怪幻譚「〓髏(クウロウ)」』(二見書房、1995年11月) ※〓は骨偏に古
『勝手口から覗いた文壇人』(第三書館、1997年10月) 
『ある異端者の随想録1 女主人の鞍』(第三書館、1998年4月)
『ある異端者の随想録2 三者関係の罠』(第三書館、1998年4月)
『わが汚辱の世界』(毎日新聞社、1999年10月)
『犬になった老人の死』(パラダイム、2001年2月)
『マゾヒストMの遺言』(筑摩書房、2003年7月) ※「沼正三」名義
『禁じられた青春(上中下)』(幻冬舎アウトロー文庫、2008年3月) ※「沼正三」名義

※『禁じられた青春』は3種類出ています。創樹社の一巻ものと、葦書房の上下巻ものとで、内容に違いがあるのかどうかは不明です(私は創樹社版しか持っていないので)。また、創樹社版・葦書房版では「天野哲夫」名義でしたが、幻冬舎アウトロー文庫版では「沼正三」名義に変更されています。


■倉田卓次の著作■

《裁判官の書斎シリーズ》
『裁判官の書斎』(勁草書房、1985年8月)
『続 裁判官の書斎』(勁草書房、1990年9月)
『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年1月)
『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年7月)
『元裁判官の書斎』(判例タイムズ社、2007年7月)

《裁判官の戦後史シリーズ》
『裁判官の戦後史』(筑摩書房、1987年8月→新装版:悠々社、1993年12月)
『続 裁判官の戦後史』(悠々社、1993年12月)
『続々 裁判官の戦後史』(悠々社、2006年7月)

※法律書は省略しました。拙ブログ「倉田卓次の著書リスト」も参照してください。
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  1. 2008/12/26(金) 02:26:13|
  2. 沼正三
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『劇画 家畜人ヤプー』書誌

都市出版社版の『劇画 家畜人ヤプー』(1971年)

劇画版の『家畜人ヤプー』は、石ノ森(石森)章太郎&シュガー佐藤ラインによるものと、江川達也によるものの二種類が出版されていますが、石ノ森&シュガーによる『ヤプー』の出版について整理してみたいと思います。

というのは、いろんなタイトルや表紙のものが出ていて、私の中で混乱してしまっているのです。何を買ったらいいのかわからない。この機会に詳しい方のご教示をいただきながら、きちんと整理できればありがたいと思います。

ちなみに、私が持っているのは、都市出版社から出た正編と、辰巳出版から出た第3巻「快楽の超SM文明編」の2冊だけです。

まとめるに当たっては、手元にある上記2冊のほか、ブログ「しろくろ骸骨」、紀伊国屋書店・ジュンク堂書店・八重洲ブックセンター・日本の古本屋の各サイト、辰巳出版のサイト、天野哲夫『犬になった老人の死』(パラダイム)掲載のリストなどを参考にしました。

実は、現物が手元にないと、発行日を確定することすらなかなか難しかったりします。例えば、第3巻「快楽の超SM文明編」の発行は、辰巳出版のサイトでも、紀伊国屋のサイトでも、1993年3月となっていますが、手元にある現物の奥付を見ると、1993年5月になっています。

これはおそらく、出版社や書店のサイトでは、形式的な発行日ではなく、実際に書店の店頭に並んだ時期を掲げているのではないかと思われます。

できるだけ、形式的な発行日に統一したいと思いますが、以下のデータではそのような誤差を含んでいる可能性があります。現物をお持ちの方は、ぜひ正確な発行日だけでもお教えいただけると助かります。

なお、石森章太郎は、1985年に「石ノ森章太郎」と改名しています。したがって、『ヤプー』についても、この年の前後で名前が変わっています。

さて、石ノ森&佐藤版『ヤプー』は、内容の上からは4冊が出ています。

 第1巻「正編/宇宙帝国への招待編」
 第2巻「続編/悪夢の日本史編」
 第3巻「快楽の超SM文明編」
 第4巻「無条件降伏編」

正編のみは、石ノ森(石森)章太郎の作ですが、続編以降は、石ノ森章太郎監修・シュガー佐藤画という形になります。

私が調べた各版をこの順に挙げてみるとこうなります。煩わしいので書名の頭の「劇画」は省略します。

○第1巻「正編/宇宙帝国への招待編」
『家畜人ヤプー』(都市出版社、1971年12月)
『家畜人ヤプー』(辰巳出版、1983年1月)
『家畜人ヤプー 宇宙帝国への招待編』(辰巳出版、1983年6月)
『家畜人ヤプー 宇宙帝国への招待編』(辰巳出版、1990年7月)

○第2巻「続編/悪夢の日本史編」
『続・家畜人ヤプー 悪夢の日本史編』(辰巳出版、1984年1月)
『続・家畜人ヤプー 悪夢の日本史編』(辰巳出版、1990年7月)

○第3巻「快楽の超SM文明編」
『家畜人ヤプー 快楽の超SM文明編』(辰巳出版、1993年5月)

○第4巻「無条件降伏編」
『家畜人ヤプー 無条件降伏編』(辰巳出版、1994年1月)

ここから、年代順に出版状況を想像してみると、こういうことかな・・・と思います。

1、正編の刊行
まず1971年に、石森章太郎による正編が、都市出版社から刊行された。

この都市出版社版の正編、なんとネーム横組で、左綴じです。その後に出た版では、この点がどうなっているのか興味があります。ちなみに、続編以降はすべてネーム縦組の右綴じのようです。

2、続編の刊行
都市出版社が倒産し、1983年1月に辰巳出版から再刊された。さらに同年6月に増刷した際に「宇宙帝国への招待」とサブタイトルがつけられた(※1)。おそらく、続編の出版が決まったことによるものではないでしょうか(※2)。

  ※1 根拠は「しろくろ骸骨」さんの発行日記述と写真。
     紀伊国屋サイトなどでは1983年1月発行のものが引っかからず、
     『犬になった老人の死』でも同年6月のみ掲載されている。
  ※2 私の想像です。

明けて1984年1月に、石森監修、シュガー画による続編が辰巳出版から刊行された(『家畜人ヤプー新聞』はこのときの販促用として作られた。それによれば、実際の店頭販売は1983年11月28日の予定だった)。続編は、書名である「家畜人ヤプー」の前に「続・」という文字が入り、「悪夢の日本史編」とサブタイトルがつけられた。

3、第3巻・第4巻の刊行
1990年7月ごろに正編・続編が発売されているようだ(※3)。おそらくこれは新装版で、後に出る第3巻・第4巻と統一したデザインにしたのではないだろうか?(※4)

  ※3 根拠:紀伊国屋サイトで検索すると、
     1990年7月発行の正編・続編が引っかかる。
  ※4 根拠:第3巻の折込チラシ=画像=には
     統一されたデザインの表紙が印刷されている。

1993年5月には第3巻「快楽の超SM文明編」、1994年1月には第4巻「無条件降伏編」が刊行され、全4巻が揃った。

以上です。

このように、3期に分けることができると思いますが、それがそれぞれ1970年代、80年代、90年代だというのが、ちょっと面白いところです。

『劇画 家畜人ヤプー 第3巻「快楽の超SM文明」編』(1993年)

第3巻「快楽の超SM文明編」に挟んであったチラシ

  1. 2008/12/25(木) 00:00:54|
  2. 沼正三
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『続々 裁判官の書斎』 (4)

本文と関係ありません

『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年)

「ルビ文学」。
15ページにわたって、ルビの功罪について書かれています。功罪といっても、功の方がメインで、

>「振り仮名による漢字の活性化」とでも言うか、ルビを自在に使って漢語の含蓄と邦語の解釈とを兼ね合わせる手法、それが可能になる(P.106)

などと述べています。

倉田さんは、こうした「ルビ文学」の好例として、竹内実訳による漢詩をあげています。

>
    うぐいす な  きぎのみどり はなのくれない は
 千里 鴬    啼き 緑      紅      に映ゆ

 みずべのむら やまざと いざかやのはた
 水村     山郭   酒旗     はためかす風

 なんちょう しひゃくはっしんじ
 南朝    四百八十寺

 みえかくれす たかどのの うてな きりさめ
 多少     楼     台   煙雨  の中

(竹内実訳「江南の春」~『続々 裁判官の書斎』P.115)

言うまでもなく『家畜人ヤプー』は、「ルビ文学」を見事なまでに実践してみせた小説です。

『ヤプー』本文を繙いてみればいくらでも例が見つかりますが、いま角川文庫版からぱっと目に付いたところを選んでみます。ルビを[]に入れて示します。

>読心家具(※直前にテレパスとルビあり)は生体家具[リビング・ファニチュア]といわれるものの一種である。生体家具とは、ヤプーの肉体をそのまま材料にして家具にしたものであるが、これを可能にしたのは、畜体循環装置[サーキュレーター]の発明であった。後に説明するように(第六章2参照)、一般のヤプーはすべて体内に天馬吸餌回虫[アスカリス・ペガシス]なる腸虫[ヘルミンス]を寄生させ、その消化力を借りて最下等の汚物から成る畜餌乳液[ヤップ・ミルク]を事故の栄養分に化してしまうのであるが、この場合、定時的な給餌が必要である。(『家畜人ヤプー』角川文庫版、P.30)

片仮名のルビが多いのですが、フォン・コトヴィッツ嬢[さん]、大嘘[でたらめ]、御招待[おまねき]のような平仮名のルビもかなりあります。

これらはまさに「漢語の含蓄と邦語の解釈とを兼ね合わせる手法」そのものであり、『家畜人ヤプー』はその意味で、「ルビによって表現手段が多様化する」という「文学的可能性」(『続々 裁判官の書斎』P.108)を示した作品であるとも言うことができるでしょう。

『続々 裁判官の書斎』にはほかに、古代史学、記紀神話やSFについての筆者の造詣の深さがうかがわれる文章も収録しています。

  1. 2008/12/24(水) 00:36:21|
  2. 沼正三
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『続々 裁判官の書斎』 (3)

写真は本文と関係ありません

『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年)

「二人称としての先生」(先生に傍点)は、「先生」という呼称について書かれた文章。たった3ページの短いもの。

裁判官時代は、誤解を避ける意味から、他人に対して「先生」を使ったことはほとんどないが、公証人になってからは、はじめは抵抗を感じながらも、やがて使うようになった、と倉田さんは述べています。

>私は、裁判官生活の間、人に対する呼び掛けとしての「先生」は――お医者さんとか、法廷外で元の教官に接するときとかは例外として――ついぞ使ったことがなかった。人から呼ばれるほうは大体「判事さん」である。出版社の人などが「先生」というのはそのままにしたが、修習生がいったときには、陪席並みに「倉田さん」と呼ばせた。(P.174)

法曹関係者同士のあいだで、他者を「先生」と呼んだり、自分を「先生」と呼ばせたりするかどうかについては、職業上の必要もあるでしょうが、そこに倉田さんの繊細なセンスが感じられます。

これを読んで思い浮かべたことがあります。

『手帖』の中に、『毛皮を来たヴィーナス』の翻訳をめぐって麻生保さんと往復書簡風のやりとりをしたくだりがあります。麻生さんが沼さんに敬意を表して「沼正三先生 玉案下」と脇付つきで呼び掛けたところ、それに対して沼さんはこう答えたるのです。

>最後に一つお願い。今後、沼先生はやめて下さい。そんな年輩でなし、資格もなし、それに、もうお分りになったように、私は二人称主語には人一倍敏感なのですからね。(「麻生保氏に答う」~『手帖6』P.103)

なにか、ここでも二つの人格が見事に付合してしまうように思われます。

なお、麻生保さんは、クラシック界では有名な作曲家だそうです(既に物故しています)。天野哲夫さんがある文章ですっぱ抜いて知ったのですが(天野さんて、そういうことをする人なんですね)、私の知る限り、すっぱ抜きは一ヶ所だけで、多くの人の目にとまるわけではないようですので、ここでその人の名前を割ることはやめておきます。

  1. 2008/12/23(火) 00:52:36|
  2. 沼正三
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『続々 裁判官の書斎』 (2)

マレーネ・ディートリッヒ『嘆きの天使』

『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年)

「ディートリッヒのABC」。
マレーネ・ディートリッヒの短文を収録した本の紹介です。

>(グレタ・ガルボに比べて)マレーネ・ディートリッヒのほうは、封切りで観たのは「情婦」(略)や「無頼の谷」くらいだが、中学時代教師に隠れてこわごわ観、戦後回顧上映でゆっくり観直した「嘆きの天使」――後ろ向きにした椅子に跨って唱った姿態のあの両脚の露出度のエロチシズム!――と「モロッコ」――ハイヒールを脱ぎ捨てた足の跡が砂漠の砂に点々と残ったあのラストシーンのロマンチシズム!――の印象が極めて鮮烈で、青春の思い出の一つである。だから、この二人のうちでは、ディートリッヒを選ぶ。
 アナベラのような白痴美でなく知情意が備わっている感じが素敵だったから、(以下略)

マレーネ・ディートリッヒといえば映画『嘆きの天使』。『嘆きの天使』といえば、女が性的魅力で男を奴隷にしてしまう物語ですから、これはどうしたって沼正三好みということになります。ディートリッヒは白人ですから、なおのこと沼さん好みですね。

沼さんの『手帖』にも、ディートリッヒが出てきます。例えば、

>(複数の女性がそれぞれ男を馬にしてまたがり、競争をしている写真のキャプション)人間競馬 米映画『無頼の谷』の一場面。中央のハードルを乗り越えようとする馬に跨るのがマルレーネ・ディートリヒ演ずるオルター・キーン。(『手帖1』P.78)

>『嘆きの天使』のマルレーネ・ディートリッヒやマイ・ブリット(略)に、ドミナ性を感じる(以下略)(『手帖2』P.108)

倉田さんが見たと言っている『無頼の谷』や『嘆きの天使』を、沼さんも見ています。しかも、倉田さんは、元裁判官らしくなく、ディートリッヒの足に性的魅力を感じていることを書いています。

倉田さんの「知情意が備わっている感じが素敵」という言葉に、私は『手帖』におけるドミナの類型を思い出しました。

これについては以前に書いたことがあるのですが(「ドミナの三類型」)、いま『手帖』を読み返してみたら、そのときに書いたことは間違っていました。お恥ずかしい。追記として訂正を入れておきました。

ディートリッヒに、知情意の魅力を感じているということは、沼さんのいうミネルヴァ・タイプの女性(雄武や芸文を備えた女性)として見ているのではないかと思ったのです。

ちなみに、私自身はディートリッヒにあまり魅力を感じません。なにかいつも煙草を吸っている印象があるのと(煙草が苦手なもので)、ちょっとギスギスしている感じがします。それに、脚線美といわれるディートリッヒの足は、私には細すぎます。

『無頼の谷』より

ドイツにて

  1. 2008/12/22(月) 04:13:58|
  2. 沼正三
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『続々 裁判官の書斎』 (1)

『続々 裁判官の書斎』表紙

『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年)

「情報の歴史」。
松岡正剛監修の『情報の歴史』を取り上げています。倉田さんほど古今東西の文献に通じた碩学であれば、「千夜千冊」の松岡正剛さんとは、さぞかし話が合うのではないでしょうか(お二人の対談がいつか実現したら、さぞかし面白いでしょうね)。案の定、倉田さんは松岡さんの手になるユニークな年表である『情報の歴史』を高く評価しています。

松岡さんの「千夜千冊」は、活字にもなっていますが、ウェブ上でも見ることができます。中で、沼正三に触れたくだりがあります。

 20年ほど前のことだろうか、沼正三から「うーん、松岡さんはMですね」と言われた。「えーっ、そうですか」と意外に思ったが、「はい、正真正銘のMです。あなたはそれに気がついていないだけです」とさらに念を押すように言われてしまった。
 日本のマゾヒズム文学を代表する大作『家畜人ヤプー』を書き、みずからマゾヒストを生きている沼正三本人からこう言われたのだから、さあ、これは一大事だった。

 沼さんがマゾヒストであることは本当である。
 実際にも、ぼくがバーに連れていったある女優を前にして、沼さんは時をみてさっと跪き、そのハイヒールの甲に接吻したもので、それを目撃したぼくとしては、沼正三がたんなる想像力だけでマゾヒズムの世界をあれこれ書いているのではないことはとっくにわかっていた。
 のみならず、のちにその女優から聞いたところでは、沼さんは彼女のマンションに行って服従をし、小水すら飲んでみせたというのである。


千夜千冊「ザッヘル=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』」より

一読して明らかなように、松岡さんが沼正三と呼んでいるのは、天野哲夫さんのことです。理由を述べる必要があるでしょうか?(笑)

要するに、上記のようなことは、思慮深く、人前に出ようとしない『手帖』の沼正三は絶対にやらないのに対して、天野さんならいかにもやりそうなこと、というより、まさに天野さんの行動そのものである、ということです。

以前に私は、天野さんの文体に関して、こう書きました(「天野哲夫と沼正三」)。

>天野さんの文体は、根本的に「告白」を志向しています。「私はこんなに変態なんですよ。すごいでしょう。気持ち悪いでしょう。さあ皆さん、驚いてください」というのが、天野さんの文章に一貫して流れている通奏低音であり、天野さんの文体はこの通奏低音上に鳴り響いています。

松岡さんの書いた沼正三が、こうした文章の書き手と全く同じ人格を持っていることは明らかです。

さて、『情報の歴史』について紹介した倉田さんは、このこと・・・すなわち、松岡さんが天野さんと接触をもっていること・・・をご存知なのでしょうか。

おそらく、何もかもお見通しのような気がします。

   ◇ ◇ ◇

目次

   I
<目耕余録>
唐宋伝奇集
日本語の作文技術
情報の歴史
ブリューゲル・さかさまの世界
ささなみのおきな
ディートリッヒのABC
「甘え」と社会科学
軽い機敏な仔猫何匹いるか
基礎日本語辞典
冠詞(全三巻)
物理の散歩道(全五冊)
随筆集 ピモダン館
とらんぷ譚 真珠母の匣
登記と法と社会生活 「法律風土」日米較差の根源 上巻
書物の森を散歩する
  銀河にひそむモンスター(福江純)
  大いなる天上の河(グレゴリイ・ベンフォード)
  光の潮流(同)
  SF全短篇(藤子不二雄)
  南方マンダラ(南方熊楠)
  酉陽雑俎(段成式)
  聊斎志異(蒲松齢)
ルビ文学
  一、ルビの功罪
  二、ルビの再評価
  三、柴田天馬訳『聊斎志異』
  四、竹内実訳『中華愛誦詩選』

   II
交通遺児育英会二〇周年に想う
地裁に医事訴訟専門部を
裁判官という職業 ―若い女性からの合格通知を祝って―
言葉直しと法廷口頭弁論の活性化
民事裁判実務の昨今
裁判官の公と私

   III
二人称としての先生
法曹四者の夢
Notary Public から Notary へ
Living Will(生前発効遺言)

   IV
両佐吉先生の思い出
落第
十年前の明士会パーティ
能遂其終
弁護士・山田○之助

   V
『乱帙録』あとがき
『法服を脱いでから』序文
『ことわざから科学へ』あとがき

   VI
ことばの歳時記「法律と裁判のことば」(聞き手:角田明夫)
対談・古代史学と証明責任(古田武彦・倉田卓次)

あとがき
  1. 2008/12/21(日) 16:16:39|
  2. 沼正三
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  4. | コメント:0

ハレ○ヤシスターズ

セクシーなハ○レルヤシスターズ

かわいいですね~。
一目惚れしました、
ハレル○シスターズ。

マヤさん、ミユキさん、マツコさん。

3人合わせて250キロ

3人合わせて250kgだそうです。
比率は、2.5:3.5:4とのこと。
すなわち、62.5と87.5と100。
お~。

大阪弁のおしゃべりも、ほんのり色っぽくてかわいい。

♪恋の奴隷になって
 今夜は Dance with me

なりますとも、
恋の奴隷にだって、
ただの奴隷にだって。

マネージャー兼奴隷にしてくれないかなあ。
  1. 2008/12/20(土) 14:09:31|
  2. 写真(他)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

『続 裁判官の書斎』

『続 裁判官の書斎』表紙

『続 裁判官の書斎』(勁草書房、1990年9月)

この巻には、沼正三との関連を伺わせるような文章はとくにありませんでした。

SFに関する記述が割合多い、ということぐらいでしょうか。

そう、一つだけ。

「『マスコミ事件始末記』を読む」と題する短い文章が掲載されています。

名誉・人権・猥褻等のマスコミ事件を扱った本の書評です。

初出は『週刊文春 昭和61年11月6日号』で、「文春図書館」というコーナーへの寄稿です。

週刊誌の編集者がこういう本の書評を倉田さんに依頼したことが、まず面白い。倉田さん自身、マスコミ事件の当事者とされてしまった過去をもっているわけですから。おそらくそれをわかって原稿依頼したんでしょうね。

「文春図書館」には、それから7年半後、武藤康史さんが、『裁判官の戦後史』にちなんで倉田さんと沼さんについての文章を書くことになります。


   ◇ ◇ ◇

目次を移しておきます。

   I
頭休めに本を読め ――学生諸君へのアドヴァイス――
<古典を読もう>
日本法律史話
運命
黄金の壺
鋼鉄都市
裁かれる裁判所 上・下
<目耕余録 ――こんな本あんな本>
メガホンの講義
明治波濤歌 上・下
人は死ねばゴミになる――私とガンとの闘い
明治人物閑話
進化した猿たち 全三巻
木馬と石牛
現代日本法の構図
悪魔の辞典(The Devil Dictionary)
ルバイヤット
論駁 1・2・3
竜の卵
訴訟と民主主義
推定無罪 ――プリジュームド・イノセント 上・下
民事法の諸問題
清唱千首
現代日本の超克
POWERS OF TEN(パワーズ・オブ・テン)
随筆家列伝

   II
本を汚して読むことなど
私の読書法
水滸伝 ――諸訳の読み比べ――
菜根譚(比べ読みの話1)
論語(比べ読みの話2)
続・誤訳談義 ――ラ・ロシュフコー箴言集の諸訳本――(比べ読みの話3)

   III
民訴的野球談義
民事裁判官の生活と意見 ――ある大学生との対話――
裁判官からみた教師像
教室の外こそ学びの場
条文の記憶法
ワープロを買った話
別荘が増築できるようになるまで
裁判官の国語力は中学生並か ――給付判決主文の用語をめぐって――
去来落柿舎の逸事
掃苔の癖
健全な制度を目指せ
私にとっての天皇制

   IV
民事法の諸問題IV「はしがき」
『民事判例実務研究』第2巻序文
『民事判例実務研究』第5巻序文
『判例コンメンタール・民事訴訟法』の意義
随想集『あの日あの時』序文
知られざる蕪山君の明治法制史研究書
『裁判今昔』という本
『マスコミ事件始末記』を読む
石原藤夫さんと私
『SFキイ・パーソン&キイ・ブック』を読んで

   V
楠本安雄君の損害賠償論 ――文は人なり――
天性の人間好き ――鈴木潔判事を偲んで――
村松先生の民訴論文
岡垣さんの思い出

あとがき

(08.12.21追記)
  1. 2008/12/19(金) 03:29:53|
  2. 沼正三
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『裁判官の書斎』

『裁判官の書斎』表紙

沼正三、天野哲夫、倉田卓次、それぞれの名義で出されている本を、ゆっくりと時間をかけて読んでいこうと思います。

すでにそこそこの数は読んでいますが、もう一度読み直す作業も含めて、のんびりとやっていきます。

そして、読みながら頭の隅に引っかかってきたことを、メモ代わりに記しておくことにします。

まずはじめは、倉田卓次『裁判官の書斎』(勁草書房、1985年8月)。

30編の文章を収めています。本の紹介が中心ですが、それだけでなくエッセイのようなものも含まれています。倉田さんの書いた雑文(法律論文や法曹として公式に書いたもの以外の文章)は、全てこの「裁判官の書斎」シリーズに収める方針のようです。

以前から思っていたのですが、このネーミング。「裁判官の書斎」。もう一つの雑文集が「裁判官の戦後史」でしょう。ここに沼正三のエッセイ集を並べてみます。

裁判官の書斎
裁判官の戦後史
ある夢想家の手帖から

タイトルの付け方がとても似ているんです。いずれも「○○の××」という形で、○○の部分は著者自身を表す言葉が入っている。

こうしたネーミングや注の入れ方には、意外とその人自身があらわれてしまうものです。文体は変えたつもりになっても、こういうところにまでは気が回らなかったりするんですね。

だから、倉田さんが沼正三だ、と断定する根拠になり得ないこともちろんです。そういう目で見るとちょっと気になる・・・というだけのこと。

さて、本書に収められている「生涯一書生」という文章は、岡垣氏という友人の思い出を綴った一編です。こんなくだりがあります。

>こちらが、まだ有名でなかった小松左京の名を紹介したり、倉橋由美子の「雑人」差別思想を論じたりすれば、向うは、フレデリック・ブラウンの『七十三光年の妖怪』と山田風太郎の忍法ものとの類似を談じる。果ては沼正三の作品の評価に端を発し、“文学には毒が必要か”をめぐって、お互いに脳中の小説題名のありったけをはたきながら、二週間くらい論戦が続くといったぐあいで、三十年前の寄宿寮生の気分に戻ってのお喋りを楽しんだ。(P.217)

昭和56年稿とあります(初出は昭和57年)。森下小太郎氏による暴露記事が『諸君!』に掲載されたのが昭和57年11月ですから、その少し前の時期です。つまり、ここで倉田さんは、まさか自分が沼正三であると名指しされるとは思わずに、文中に沼正三の名前を書いたことになるわけです。

後に、ご自身が『家畜人ヤプー』と関わりのあったことは認めていますので、「そらっとぼけて」書いていたことになります。なかなかお茶目ではありませんか。

一番最後に掲載されているのが「思い出の美少年」という一文です。

旧制一校時代の後輩のことを綴ったものですが、その美少年の名前が「遠藤麟一朗」。沼ファンとしては、どうしてもこの名前に目が引きつけられてしまいます。言うまでもなく、『家畜人ヤプー』の主人公の名前が「麟一郎」だからです。とくに「麟」という字は、あまり多くは使われない字ですからね。

このことは森下さんの記事でも触れられています。私は森下さんの記事よりも、倉田さんの文章の方を先に読んだのですが、一読してすぐに「あ!」と思いました。

もちろんこれも決定的な証拠ではありません。というより、拙文は証拠集めを目論んでいるわけでも何でもないのです。私の中ではすでに結論は出ていますから。

ただ、沼ファンの目から見て、ムフフと思うことがあれば、それをメモ代わりに書き抜いておく、というだけのことです。


   ◇ ◇ ◇

目次を移しておきます。

   I
正義の女神の目隠し
地獄への道
済度? sight?
ラ・ロシュフコーの裁判者観
推理小説と私
SFないない尽くし
五十の手習い
本を読む場所
漱石の『猫』の中の一行について
魔睡考
誤訳談義
カイヨー夫人之獄(旧刊紹介)
玉乃世履異聞

   II
旅の出来事
私の健康法
お上の事にも間違いはある
新春読書偶感
樟か楠か
憲法記念日に思う
検察官の不起訴権限
裁判のイメージ
アルファベット文化と裁判実務
来る者はなお追うべし

   III
二つの言葉 ――田辺公二追想――
戸山町官舎の隣人 ――井口浩二追想――
生涯一書生 ――岡垣勲追想――
三淵さんの思い出 ――三淵嘉子追想――

   IV
国会図書館にいたころ
第一回模擬裁のころ
思い出の美少年 ――遠藤麟一朗追想――

あとがき

(08.12.21追記)
  1. 2008/12/18(木) 02:09:16|
  2. 沼正三
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倉田卓次の著書リスト

倉田卓次の著書
尊敬する倉田卓次さんの著書をリストにしてみました。

拙ブログ読者の多くにとって興味のあるのは、《裁判官の書斎》《裁判官の戦後史》という二つのシリーズだけだと思いますが、一応、法律の専門書も掲げておきます。

リスト作成にあたっては、『元裁判官の書斎』に掲載の倉田さんご自身による著作リストを参考にさせていただきました。

《裁判官の書斎シリーズ》

読書案内やエッセイ等――本人によれば「雑文」を収めたシリーズです。倉田さんの読書範囲は、古今東西の古典からSF・漫画まで、その広さ・深さは、常人のとても及ぶところではありません。読んでいて目のくらむ思いです。しかも、決して浮つくことのない地に足をつけた文体は、読者の心を惹きつけて放しません。倉田さんの知識は“本物”で、いわゆる“ペダントリー(衒学趣味)”とは違うもののような気がします。

『裁判官の書斎』(勁草書房、1985年8月)
『続 裁判官の書斎』(勁草書房、1990年9月)
『続々 裁判官の書斎』(勁草書房、1992年1月)
『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年7月)
『元裁判官の書斎』(判例タイムズ社、2007年7月)

現在、続・続々・続々々は絶版で、正編も入手困難。元は八重洲ブックセンター・アマゾンには在庫ありとのこと(ジュンク堂・紀伊国屋書店では在庫なし)。いずれも古書店では割合入手しやすいと思います。

《裁判官の戦後史シリーズ》

タイトル通り、倉田さんがご自身の戦後史を綴ったもの。『判例タイムズ』に掲載されたものをまとめています。続には、沼正三事件について、たった2ページですが、触れられています(P.46~47)。続々では、さらに詳しく、一章を割いて書かれています(P.286~307)。正編は、はじめ筑摩書房から出版されましたが、後に悠々社から新装版として再刊。続・続々も悠々社から出ています。

『裁判官の戦後史』(筑摩書房、1987年8月、悠々社・新装版1993年12月)
『続 裁判官の戦後史』(悠々社、1993年12月)
『続々 裁判官の戦後史』(悠々社、2006年7月)

現在、正編筑摩書房版は絶版、悠々社版の正編・続編は、入手が難しくなってきているようです。続々は入手可能。いずれも古書店では入手しやすいと思います。

《法律書/単著》

『民事交通訴訟の課題』(日本評論社、1970年1月)
『交通事故賠償の諸相』(日本評論社、1976年2月)
『民事実務と証明論』(日本評論社、1987年2月)
『金融判例の研究』(西神田編集室、1988年12月)
『遺言・公証』(日本評論社、1992年4月)
『解説・遺言判例140』(判例タイムズ社、1993年8月、補訂版1994年2月)
『民事裁判論集――将来損害・事実認定・交通訴訟』(判例タイムズ社、2007年7月)

《法律書/編・監修・訳書》

倉田卓次責任編集「交通事故と民事責任」(吉岡進監修、判例タイムズ212号臨時増刊・1967年12月)
『判例からみた自動車事故の諸問題』(編、新日本法規出版、1977年8月)
『ローゼンベルク 証明責任論』(訳、判例タイムズ社、初版1980年4月、全訂阪1987年9月)
『要件事実の証明責任 債権総論』(監修、西神田編集室、1986年7月)
(独訳書)Beweislast Schuldrecht-Allgemeiner Teil (Uebersetzung von Hans-Peter Marutschke) Carl Heimanns Verlag 2006 (定価76ユーロ)
『要件事実の証明責任 契約法上巻』(監修、西神田編集室、1993年12月)
『要件事実の証明責任 契約法下巻』(監修、西神田編集室、1998年7月)

  1. 2008/12/17(水) 00:02:23|
  2. 沼正三
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『家畜人ヤプー新聞』4/4

『家畜人ヤプー新聞』第6面

『家畜人ヤプー新聞』第7面

【第6・7面】

「変形ヤプー総カタログ」が掲載されています。

第7面、囲み記事中の店長さんについては、一応、お名前を消し、顔写真に目線を入れました。

『家畜人ヤプー新聞』シリーズはこれでオシマイです。
  1. 2008/12/16(火) 00:02:16|
  2. 沼正三
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『家畜人ヤプー新聞』3/4

『家畜人ヤプー新聞』第4面

『家畜人ヤプー新聞』第5面

【第4・5面】

『ヤプー新聞』の白眉は、なんといってもこの第4・5面でしょう。

『家畜人ヤプー』に対する数々の批評、沼正三の正体をめぐる騒動の概要、それにご丁寧に年表まで掲載されています。

批評の中には、今日なかなか目にすることのできないものも含まれていて、貴重です。この部分だけでも、テキストに起こしておこうかとも思います。

それぞれの発言には、出典がきちんと明記されているのがいいですね。これでずいぶん後追いがしやすくなります。

団鬼六さんは、この時点では、天野さんが沼正三だと考えていたようですが、その後、

>その内、天野氏は自分が沼正三であるといい出しヤプーの続編やら エッセーやらを沼正三気取りで書き出したものだから、純粋のヤプーファン層はソッポを向くようになった。本物と偽者とではやっぱり質が違うのである。(文藝春秋2004年9月号)

と発言しているので、現在はそうは考えていないものと思われます。

倉橋由美子さんが「マゾヒストM氏の肖像」で述べているのが天野哲夫さんであることは確実です。倉橋さんは天野哲夫=沼正三と思っていたようです。

森下小太郎さんが『諸君!』に、三度にわたって掲載した記事は、沼正三を考える上で極めて重要な資料です。このように一部分だけ紹介されると読みたくなりますね。

私は全部持ってますが、なにしろ暴露記事ですし、全文転載するわけにもいきません。そのうち要約のような形で紹介しようかと思います。ま、気が向いたときにでも・・・。

  1. 2008/12/15(月) 00:04:20|
  2. 沼正三
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『家畜人ヤプー新聞』2/4

『家畜人ヤプー新聞』第2・3面

『家畜人ヤプー新聞』第3面

【第2・3面】

『家畜人ヤプー』をめぐる一種のエッセイ・・・といっていいんでしょうね。

文章もしっかりしているし、なかなか面白い読み物になっていると思います。

それよりも私が注目したのは、小さな広告です。

>映像の極限に挑む
>「家畜人ヤプー」の
>官能ビデオがついに完成!

このビデオは完成したのでしょうか?
完成したのなら見てみたい。

ん? 官能ビデオ?
  1. 2008/12/14(日) 00:21:27|
  2. 沼正三
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『家畜人ヤプー新聞』1/4

『家畜人ヤプー新聞』第1面

珍しい資料を紹介します。

『家畜人ヤプー新聞』(1983年12月1日発行、辰巳出版)

新聞と名のついたものですが、本当の新聞ではありません。
辰巳出版が、『続・家畜人ヤプー』の劇画版を出すにあたって、パンフレットないしはチラシの代わりに印刷したものと思います。
たしか書店で入手したのだったと記憶しています(新刊書店だったか、古書店だったか忘れました)。

B5判全8面のこの『ヤプー新聞』を、2ページずつ4回に分けて紹介します。

一次資料ではないので、さほど資料的価値は高くありませんが、1983年当時におけるヤプー関連のまとめとして、面白く読めるのではないでしょうか。

【第1面】

第1面は、『家畜人ヤプー』の作品紹介ですが、この新聞の正体は広告なので、全体的に煽り口調になっています。

最下段には関連図書が並んでいます。

マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』は種村季弘訳の桃源社版。《ザッヘル=マゾッホ選集》の第1巻として出されていたものです。現在は河出文庫で読むことができます。

スウィフトの『ガリヴァー旅行記』が掲載されているのは、そうとうなこじつけですね(笑)。もっとも『ヤプー』が『ガリヴァー』の影響を受けていることも事実なのですが。

石森章太郎(まだ「石ノ森」になっていない)の『ヤプー』は、この石森=シュガー佐藤による続編が出版されるのと同時に再出版された新装版のようですね。第8面の注文票に「カバー一新」とあります(後述)。ちなみに、私はこの辰巳出版版の前に出ていた都市出版社版で持っています。

石森=シュガー版の『ヤプー』については、書誌を整理する必要がありますね。

この、『都市(別冊)』、私は持っていません。とても欲しいです。

角川文庫版の『ヤプー』は、本編すなわち第28章までを収めたものですね。天野哲夫の手が極力加わっていない(続編収録せず、本文も手が加えられていない)版で、これをもって『ヤプー』の最も優れたテキストだと考える人もいます。

私はこの角川文庫版で、初めて『ヤプー』を読みました。高校時代でしたか。夢中になって、三日ほどで読了しました。

『家畜人ヤプー新聞』第8面

【第8面】

劇画版の注文票と、編集後記(「イース通信」)、それに「ヤプー・クロスワード」。

ヤプー・クロスワード(笑)。こういうことを考える発想が面白いですね。

抽選で、「正解者の中から抽選で20名の方に沼正三のサイン入り『続・家畜人ヤプー』をお送りします」とのことですが、当たった人はいたのでしょうか。

いたとしたら、そのサインはどちらがしたのでしょうか。沼正三Kか、沼正三Aか・・・。

  1. 2008/12/13(土) 00:03:04|
  2. 沼正三
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武藤康史の指摘・補

ヒヒーン

私が読んだ武藤康史さんの文章は『週刊文春』の切り抜きで、(上)(中)(下)三回にわたる記事の(下)だけでした。

ニュアンスを正確につかむために(上)(中)も読みたいと思い、この文章が収録されている単行本『文学鶴亀』(国書刊行会)を取り寄せました。

 わが人生の書 ――ある裁判官の自伝(上)
 小説家的手腕 ――ある裁判官の自伝(中)
 「沼正三」として ――ある裁判官の自伝(下)

全体は、倉田卓次『裁判官の戦後史』正続編を読んでのエッセイで、(上)と(中)では、倉田さんの文章がいかに上手いかということを、具体例を引きながら述べています。

沼正三に触れているのは(中)の末尾からです。ここでは、倉田はかつて沼正三ではないかと書き立てられたことがあると述べた上で、倉田と沼は別人ではないかと推定しているいくつかの発言を紹介しています。

そして、(下)では、冒頭に、

>『続 裁判官の戦後史』でも、『家畜人ヤプー』を書いたなどとは言っていない。

と述べて、(中)の流れを受け継いでいます。

この冒頭の一文は、文章全体の機能からは、「しかし・・・」と続けるための「振り」に当たります。明言は避けていますが、文章全体では、武藤さんが『ヤプー』を書いたのは倉田さんだと考えていることは明らかです。

だから、

>天野哲夫の書いたものを倉田卓次が添削した、とでも説明されればまだ納得できる。

という文は、「倉田が『ヤプー』を書いたと思われるが、倉田自身は書いたとは言っていない。天野哲夫の書いたものを倉田卓次が添削した、とでも説明されればまだ納得できる。」というニュアンスで語られているわけです。

ゆえに、

>武藤康史はヤプーの文体から、天野が書いたものを、倉田が添削したのではないかと、推測している。

というウィキペディアの記述は間違いだと思われます。

余談ですが、『文学鶴亀』に収録されているほかの文章もざっと読んでみましたが、武藤さんの文章、とても良いですね。ファンになりました。
  1. 2008/12/12(金) 01:22:38|
  2. 沼正三
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武藤康史の指摘

沼正三とは関係ありませんが

天野哲夫と沼(本)正三の文体の違いについて言及している数少ない資料を紹介します。

武藤康史さんの

“「沼正三」として ――ある裁判官の自伝(下)”

という文章で、『週刊文春』1994年3月24日号に掲載されたものです。

>天野哲夫の書いたものを倉田卓次が添削した、とでも説明されればまだ納得できる。『家畜人ヤプー』の文章の張りは、天野哲夫名で書かれた文章を逆さに振っても出て来ないものだ。しかし倉田卓次の文章とは同じ匂いがする(『家畜人ヤプー』の続篇らしきものはつまらない。こちらは本当に天野哲夫が書いたとか)。

言及しているといっても、これだけです。文体について説明している言葉は「張り」しかありません。

とはいえ、武藤さんが二人の文体の違いについて、正確に受け止めていらっしゃることは見てとれます。

ところで、ウィキペディアの「沼正三」の項には、

>武藤康史はヤプーの文体から、天野が書いたものを、倉田が添削したのではないかと、推測している。

と書かれていますが、その出典は上記の文章でしょうか。

もしそうだとすると、武藤さんは「…とでも説明されればまだ納得できる。」と言っているだけなので、「…ではないかと、推測している。」というほど強くは言っていないのではないでしょうか。

まあ、ニュアンスの問題ですが、ウィキペディアの記述はやや不正確であるように思われます。
  1. 2008/12/10(水) 03:05:28|
  2. 沼正三
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天野哲夫と沼正三

ヤプーを描いた春川ナミオ作品

天野哲夫さんが、2008年11月30日、肺炎で亡くなったそうです。82歳とのこと。ご冥福をお祈りします。

日本におけるマゾヒズムを考える上では、記録に留めておくべき一つの事件と言ってよいのではないでしょうか。ただし、大事件ではない。

天野さんと「沼正三」ないし『家畜人ヤプー』との関係については、私にとっては既に解決済みの問題です。

事実の概要については、ウィキペディアの「沼正三」の項目によくまとまっていますので、繰り返さないでおきます。

沼正三(ウィキペディア)

はっきりしていることは、

1、『家畜人ヤプー』の、本編(第28章まで)と続編(第29章以下)とは別人が書いている。
2、続編を書いたのは天野哲夫である。
3、本編を書いた人は、『ある夢想家の手帖から』も書いている。

大切なのは以上のことで、「天野哲夫が沼正三である」といっても、「天野哲夫は沼正三ではない」といっても、私にはさほど興味がありません。

『家畜人ヤプー』が沼正三名義で出版されている以上、続編を書いている天野さんを「沼正三」と呼ぶかどうかは、形式的な問題に過ぎない・・・と思うのです。

なんなら、藤子不二雄式に「沼(本)正三」「沼(続)正三」と呼び分けてもいいし、本編を書いたとされている方の頭文字を加えて、「沼正三K」「沼正三A」などとしてもよいかもしれません(笑)。

もちろん本編を書いた「沼正三K」だけを「沼正三」と呼び、天野哲夫さんはあくまでも天野哲夫で通していただく、というのが一番収まりのよい形だとは思いますけれど。

私は、「女性上位時代」の馬仙人さんほど細かい文献まで追いかけているわけではありませんが、それでも『ヤプー』の本編を書いた人と、続編を書いた人(天野さん)が別人だということぐらいはわかります。

なぜなら、文体が違うからです。文体というものは、上手に真似しようとしても、どうしてもその人ならではのものが出てしまうものです。

本編を書いたのは、おそらく倉田卓次さんでしょう。倉田さんは、元東京高裁の裁判官で、現在は弁護士をなさっているようです。裁判官としては非常に優秀で、民事訴訟法を学ぶ人は必ず倉田さんの判例を勉強するのだ、と聞いたことがあります。

さて、天野さんの文体は、根本的に「告白」を志向しています。「私はこんなに変態なんですよ。すごいでしょう。気持ち悪いでしょう。さあ皆さん、驚いてください」というのが、天野さんの文章に一貫して流れている通奏低音であり、天野さんの文体はこの通奏低音上に鳴り響いています。

余談ですが、この「告白」文体は、ルソーの『告白』を嚆矢としています。したがって、天野哲夫はルソーの遥かな末裔ということになります。もっともルソーの末裔は、星の数ほどいますが。

天野文体に対して、『ヤプー』本編の文章は、マゾヒスティックな状況を制度的に作り上げることに心を砕いています。「制度的に」というところが重要です。ユートピアとしての未来社会を鮮やかに表象してマゾヒズムに遊びたい、というのが、本編作者の創作動機のはずです。そして、それをするためには、未来社会がどのような仕組みになっているのかを克明に構築する必要がある、と作者は考えた。だから、本編の文体は、「制度」を志向しています。登場人物の心理描写をしているときでも、注意深く読めば、その向こうに「制度」があることがわかります。

この制度的発想というのは、実は裁判官の発想そのものなのです。裁判官は、個々の事件について判断を下すのが仕事ですが、判断を下す際には常に「制度」が脳裏にあるはずです。「この案件についてこう判断をしたら、ほかの同種の案件の場合にもうまく適合するかどうか」、そう考える。交通事故による損害賠償事件の判決を下すときには、同時に、交通事故による損害賠償制度について考えているわけです。

『ヤプー』本編を書いたのは倉田さんだと私が考える理由は、1982年に森下小太郎氏が書いた暴露記事の説得力のためだけではなく、以上の点にあります。

ついでに言えば、暴露記事を発表したこと自体については、私は良い印象を持っていません。品性に欠ける行為だと思っています。おそらくなにか個人的な恨みがあったのでしょうね。この手の行為には、もっともらしい大義名分をつけても、裏にはなにかの恨みつらみがあるのが常ですから。

その点、倉田さんには大変お気の毒だったと思います。ただ、後の世になって、もっと巨視的な立場から見たら、大きな意義のあることだったと判断される可能性もあるかもしれません。

私自身は、『ヤプー』本編と『手帖』を書いた「沼正三K」を尊敬しています。とても大きな影響を受けました。できることならお目にかかって、直接お話を伺ってみたいと、ずっと思ってきました。

私がここでお名前を挙げたのは、ネットや活字で既にお名前が出されていて、もはや大っぴらになっているからです。ご本人のご機嫌を損ねなければよいと思いますが。

天野さんについては、マゾヒストとして一定の関心はもっていますが、とりたてて私の尊敬の対象ではありません。

最後に、「天野哲夫は沼正三ではない」と主張する人の多くは、天野さんのことを悪く言っています。

例えば、ウィキペディアには、

>団鬼六は「その内、天野氏は自分が沼正三であるといい出しヤプーの続編やら エッセーやらを沼正三気取りで書き出したものだから、純粋のヤプーファン層はソッポを向くようになった。本物と偽者とではやっぱり質が違うのである」(文藝春秋2004年9月号)と発言

とありますし、嵐山光三郎の「小説沼正三」(『風俗奇譚』1970年7月臨時増刊号)は、全編これ天野氏(「ブタノ」「テンノ」として登場)を悪し様に罵った内容になっています。上記の馬仙人氏も悪く言っています。

おそらく事実の認識では、私はこうした方々と機を一にしていると思いますが、その「怒り」の部分だけはさしあたり共有していないのです。

天野さんが沼正三を「騙った」としても、当の沼さんがそれを許容しているのならそれでいいではないか・・・という感覚が私にはあります。

どうも、「怒り派」の方々は、もともと天野さんの近くにいた人たちで、天野さんに対する人格的な不信を持っているようなのですが、天野さんとは何の面識もない私には、そうした不信感をもつに至った事実がわからないというだけのことなのかもしれません。

今後、そうした事実を知った場合には、私も「怒り派」に与するかもしれませんし、あるいは、与しないかもしれません。
  1. 2008/12/07(日) 16:43:19|
  2. 沼正三
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奴隷の自由

それは二人の合意に基づく行為でした

奴隷って自由ですよね。

「なに言ってるの?
奴隷には自由なんかないのよ。
自由がないから奴隷っていうんじゃない」

ごもっともです。
でも、少しだけ私の話を聞いて下さい。

たしかに奴隷はご主人様の命令に絶対的に従わなければなりません。
ご主人様が望むなら、1日24時間1年365日です。
完全な奴隷であればあるほど、自由はないように見えます。

しかし、たった一つだけ自由があるのです。

どんな自由かというと・・・
奴隷になるかどうか、奴隷でいるかどうかを選択する自由です。

アフリカから新大陸に連れてこられた人々のような奴隷には、
そういう自由はなかったでしょうが、
いま私たちが念頭に置いている、SM的な関係における奴隷には、
そうした自由があると思います。

もう少し違う言い方をするなら、
奴隷には「行為」レベルの自由はありませんが、
「関係」レベルの自由、すなわち主人との関係を解消する自由はあるのです。

実はこのことは重要です。

第一に、この自由があるからこそ、
二人の主従関係が社会的に認められるものになるわけです。

第二に、この自由があるからこそ、
二人の主従関係が“愛”たり得るのです。

奴隷はご主人様から、さまざまなひどい目に合わされます。
痛かったり、恐かったり、みじめだったり・・・。

もし奴隷が本当に嫌だったら、関係を解消すればいいのです。
S女性はプライドが高いですから、
奴隷がそう言ったら、引き留めることはまず無いと思います。
だから、奴隷は逃げようと思えば、いつでも逃げることができる。

つまり、そこに奴隷の自由があるわけです。

いつでも逃げられるのに、それをせずに、
ご主人様のひどい仕打ちを受けることを敢えて選んでいる。
ご主人様のそばにいることを選択している。

だから、大きくいえば、
鞭で打たれるのも、トイレにされるのも、合意の行為なのです。

それが愛の表現でなくて、何でしょう。

「そうね。
それならわかるわ。
お前も、いつだって逃げていいのよ」

ご主人様!
そんなことおっしゃらないでください!
どうか一生、ご主人様の奴隷でいさせてください!

  1. 2008/12/02(火) 05:26:05|
  2. マゾヒズム論
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女性上司の叱責

憧れの女性上司

「ばかっ、こんなこともできないのっ!」

豊満でセクシーな女性上司に叱られて、
こんなことをされたら・・・

こりゃたまりません。
私だったらきっと、一発で惚れてしまいます。

写真は、望月加奈さん主演のDVD
『熟女ジャックマニア ~凌辱なる淫戯~』(AVS)のワンシーン。

「AVメーカースタッフのアダルトな裏の趣味」さんから、
許可を得てお借りしました。

ただし、上のコメントはDVDの文脈とは全く関係ありません。
一枚の写真として、私にはそういう風に見えるというだけのことで。

「AVメーカースタッフのアダルトな裏の趣味」は、
大迫直子さんや、翔田千里さんなど、私の憧れの女優さんが多く登場して、
いつも楽しみに拝見しているブログです。
femdomサイトではありませんが、
探せばfemdomっぽい要素もあちこちにあって、楽しいです。
それになんと言っても、画質が良いのです。

  1. 2008/12/01(月) 13:28:59|
  2. 写真(他)
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